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シャンパーニュの小話


今回は、ワインラヴァーの皆様がクリスマスや年末年始に欠かせない『シャンパーニュ』についてお話したいと思います。

●シャンパーニュの始まり

その昔、シャンパーニュ地方では色が薄く、酸味の強い赤ワインが造られていました。

17世紀後半になって、有名なドン・ペリニヨン僧がこの地にある修道院の酒庫係に任命されたのが新しい歴史の始まりでした。

ペリニヨン僧については色々と逸話があり、その中には『初めて発泡性ワインを造った』とか『彼は盲目だから嗅覚に優れていた』などありますが、もともとイギリスではフランスから輸入した新酒が発泡を帯びることが知られていましたし、現在モエ・エ・シャンドン社の膨大な資料の中にも盲目だったという記述はどこにも無かったと言われています。

彼が偉大だったことをひと言で表せば、『発泡性ワインを商品として成り立たせたこと』に尽きると思います。気圧に耐えるガラス瓶やコルク栓の導入(それまでは木片に油を染み込ませたものを麻の縄で縛り、薄いガラス瓶の口に詰めていたそうです)、さらには黒ブドウから白ワインを造るために、素早く果汁を搾り取り果皮と接触する時間を少なくできる圧搾機の発明などモノづくりのほか、ブドウ栽培の北限という厳しい環境の中、良質のワインを造るために異なる畑から出来たワイン、異なるヴィンテージのワインをブレンドし、毎年良質な(シャンパーニュの原料となる)ワインを造るというアッサンブラージュという技術も確立しました。

すなわち、彼の功績無くしては現代のシャンパーニュ造りは無かったのではというほどのことを遺してくれたのです。

●質の向上へ

それから後のシャンパーニュは質の向上を目指します。

19世紀初頭には有名なクリコ夫人が瓶内2次発酵の際に出る澱を除去する“デゴルジュマン”という技術を発明し、それまで澱によって白濁していたシャンパーニュが現代と同じような透明感を持つようになりました。

同時期にはある科学者がワインの残糖を計り、2次発酵の際に発生する炭酸ガスの量を測定する方法を発見しました。それにより、それまで職人の勘頼りだった2次発酵のための糖分添加が計算できるようになり、安全に大量にシャンパーニュを保存出来るようになったのです。(当時は製造されたシャンパーニュの約40%がガラスの強度を超えるガス圧により破裂していたとか・・・)

そして19世紀末頃になると人々のワインの趣向が甘口から辛口へと変わり、シャンパーニュも食後酒から食前、食中酒に飲める辛口(ブリュット)の需要が高まっていきます。

いち早く辛口を世に送り出したのがポメリー夫人であり、ポメリーは当時大ヒットしたと言われています。

マーケティングらしきものもこの頃から考えられ始めたのでしょうか、当時の有名な画家に宣伝用ポスターを作成させるなどの動きもあったようです。


●現代のシャンパーニュ事情

近年まで、シャンパーニュ地方のブドウ農家は造ったブドウを大規模生産者に全て売っていました。しかしながら今はそういった農家が自分でシャンパーニュを造り始め、販売まで一貫して行うようになりました。

流通の発達のおかげで日本にいても色々な味わいのシャンパーニュを楽しめるようになりましたが店頭には数多くのシャンパーニュが並び、産地(畑)、ブドウ品種、ヴィンテージ、生産者などの情報があふれています。

消費者はどのシャンパーニュを飲んだらよいか困惑しているという状況にもなっているのではと勝手に心配しております。

私たちワインショップのスタッフは、輸入業者とお客様の橋渡し役として日々勉強(試飲?)し、これは!と思えるものを仕入れております。

シャンパーニュ選びに困ったら、ぜひ遠慮なくお声掛けください。

そしてシャンパーニュをお飲みになる時は、ペリニヨン僧から始まるシャンパーニュの長い歴史を思い浮かべてみてはいかがでしょう。

幟町店 山岡

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